“藤井絢さんの話し〜自分を愛してあげるための一歩“

*21歳 ICU(国際基督教大学)三年生

「まずは、自分自身を愛してあげること。」この言葉はよく耳にするし、同感だ。でも、自分のすべてを肯定し、ましてや愛してあげるなんて、言葉にするのは簡単だけど、実際はとても難しい。でも、私の経験したことから言えるのは、どんな小さいきっかけでも、自分を愛するための一歩となり得るということ。それは、旅行でも、絵を描くことでも、瞑想でも、私みたいに踊ることでも、なんでもきっかけになるんだっていうこと。

私は日本で生まれたが、5歳の誕生日をむかえる直前に、家族がシンガポールへ移住することになった。シンガポールで過ごした8年間は、私にとってかけがえのない時間だ。そこで見たもの、聞いたもの、感じたもの、経験したものすべてが今の私の一部であり、シンガポールという国、通っていた学校、家族はもちろん触れ合った友達たちすべてが大好きだった。

幼いながらに、自分の居場所はシンガポールにあるとずっと確信していたので、日本を「母国」と考えたことがなかった。毎年夏になると、祖父母や親戚に会いに日本へ一時帰国していたものの、私にとって日本は「帰る」場所ではなく「訪れる」場所だった。だから、日本に本帰国すると聞いたときは、殊の外大きなショックを受けた。こんなにも繋がりを感じている大切な場所を離れるという事実を受け入れることができず、日本で上手くやっていける自信もなく、ただただ恐ろしかったことを今でも覚えている。

学校でも家でも、英語を使って生活していた当時の私は、自分の年齢に見合った日本語レベルを習得していなかった。それでも日本では、当然ながら、周りは私の日本人的な外見から、「普通の日本人の女の子」と判断するため、そのイメージを覆すかのように日本語が理解できず、カタコトで話す私に戸惑う人もいた。こうした出来事が度重なり、私は、自分の日本語能力だけでなく、自分自身に対する自信も持てなくなっていった。自己肯定感の低さから、ちょっとでも「違う」自分をさらけ出してしまうと、孤立してしまうのではないかと怖かった。

シンガポールに住んでいた頃の明るく無邪気な自分は次第に薄れていき、まるでカメレオンかのように、自分の本当の姿は決して見せず、常に周りに合わせるようになっていった。こうすることで周りに溶け込むことはできたが、常に素の自分を隠していることに、ちょっとずつストレスを感じていった。今振り返ってみると、そうしたストレスの積み重ねから解放されたいという思いが、唐突だったが突然「ダンスを習いたい」と思わせたのかもしれない。

ダンスは自己表現の一種で、様々な感情や思いを曲のビートに合わせて全身を使って表現する。「良いダンサー」というのは、そうした感情やメッセージを正確に表現できる人で、そうなるためには音楽だけでなく、自分自身とも向き合う必要がある。

ダンスを習い始めた頃は、踊ることで違う自分になれると思っていた。それが、むしろその逆で、自分と向き合う機会になっていた。「上手に踊れるようになりたい!」と思い、色々な曲に触れ、それぞれの曲に込められている思いを感じ、汲み取り、それらを自分に当てはめようとした。ダンスの上達のために始めたことが、実は自分を見つめなおすきっかけとなり、心の声にもっと耳を傾けるようになっていった。

踊るようになってからカメレオンではなく、本当の自分でいられることが本当に気持ちよかった。素の自分をさらけ出せば周りが離れていってしまうと恐れていたけど、実際は自己開示することで、自然と周りも同じようにオープンになっていって、今までにないほど友達といる時間が心地よかった。

「ダンサー」としての私はまだまだ発展途上で、改善していく点はたくさんある。それでもダンスを通して自分を表現することは止めないし、これからも続けていきたいと思っている。もし自分に自信が持てない人がいたら、そのすべての人に向けてこう伝えたい。「素の自分でいていいんだよ」っと。そして自分を変えたいと思っている人へ、「自分を変えるきっかけとなるモノは意外と近くに転がっているかもしれない」って。