“こだわりの話し”

日常生活の中でみなさんはどれだけ物事に対してこだわっていますか?

例えばとても不愉快な出来事があったとします。その不愉快さは何日ぐらい続いていますか?例えば“あの人はずるい人!”それにこだわっている人は多分結構長い間それが自分の中にあると思います。

あるずるい人がいました。あなたはそのずるい人にこだわり続けます。この先入観があるのであなたはその人は“ずるい人”としかみれません。その人と話すたびにあなたは“本当にこの人ずるくて嫌だな”、っとそこに嫌いが加わりました。 “ずるい人”にこだわっているとあなたは色眼鏡をかけなければその人を見る事ができません。ずるい人を“もういいや〜。ずるい人ならそれでいいや〜!”とこだわりをなくす事によって大分楽になると思います。

色々な勉強をするのは大いに良い事だと思います。でもここにまたこだわりがあるんです。“こうしなければいけない、だって本にはそう書いてあったし。”などなど。自分の知識となっているものは単なる知識であって自分のものではありません。そう、だからこうしなければダメだと思っているんですよね?私は思います、知識がありすぎて結局は何も出来ない人も多いのではないかと。

学びは実践して初めて自分のものになります。知識が多くても本当の自分にはなっていません。それを活かすことがとても大切です。反省をしてもそれを活かさなければ本当ではありません。反省は自分の気休めでしかない場合も多いです。

学びを実践することはとてもシンプルなことで複雑ではありません。何も知らなくても出来ちゃうんです。色々な知識がなくてもその人の行動で学びは活かされます。

出来事に対してあるがまま–そのまま受け入れます。また再びですが、ここには感情はいれません。“ずるい人”をそのままそう受け入れます。そう“あの人ずるい人なんだ〜!”って、これでおしまい。ずるくて嫌いだな〜!は入れません。そのままを受け入れたら次はそれにこだわらないことが大切です。いいじゃないですか、その人ずるくって。私にだって嫌なところ沢山あるし。

大事なことは次にその人と接する時にその事に“こだわらない”事です。次に接した時にまた“この人はずるい人だな”っと思ったらそれをその時点であるがままーそのままに受け入れればいいんです。でもこだわらないのでその人をそのまんま受け入れられます。今日のこの人はどんな人だろう?って。ずるいのレッテルは外します。こうやっていくとそのうちに“もうどうでもいいや”ってなります。あの人はずるいけどそれがなんなんだ!って。そうなんです、いいんですよずるい人もいて。なので何事もこだわるのはやめましょうよ。こだわっているからそこの場所から動けないんですよ。手放して別のところへ行きましょうよ。